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  • 目次

「ねぇリューリック! これ、おいしいね~!」
 
 まだ幼さの残る……どちらかというと卵型というより丸い顔に、ふにゃりとした笑顔が浮かんだ。
 黒に見えるその髪は不思議な色で、陽の光の下でなら黒ではなく濃緑なのだとはっきり分かる。
 大きな瞳もまた、肩に流れる髪と同じ濃緑色だった。
 私の国ではこんな色を持つ人間はいなかった。
 この土地でも、彼女だけが特別な色を持っていた。

 容姿だけなら、文句無しに及第点。

 が。

「チャキアは蛙が大好き!」

 その口には、焼いた大蛙の右足。

「……これは西の沼のものか? 東のものより、少し身が硬い」

 味も食感も鶏肉によく似ていた。
 鶏肉よりも脂が少ないがその分、香辛料の風味が引き立っていて確かに美味い。
 チャキアの言うように、蛙は美味い食材だった。

 本日のメインディッシュはチャキアの好物である大蛙だ。
 ここでは陽が落ちる前に夕飯を済ませる。
 そして陽が落ちれば寝、朝日と共に目覚める。
 健康的……原始的といったほうが正しいだろうか?
 
「うん。リューリックが村長さんのお手伝いに行ってる間に、お母さんが捕ってきてくれたの」

 ばきばきと白い歯で蛙の骨を噛み砕きながら、チャキアは言った。
 チャキアは可愛らしい見た目をしているが、蛙を平気で骨ごと食うような少女だ。

「……成長期の子供には栄養が必要だしな」

 私はとっくに成人しているし、背もそれなりにあるので蛙の骨など食わずとも良い……。
 正直に言うならば。
 私には無理だ。
 硬いからではなく、気持ち的に。

 蛙だ、これは。
 これは、蛙だぞ!?
 私の国では別名<悪魔すら踏めぬ醜きもの>だぞ?

 無理だ。
 嫌だ。
 惰弱な男だと罵られようが、無理なものは無理だ。
 
 焼いた蛙を笑顔で、骨ごと食う少女。
 そんな女は、私の周りにはいなかった。
 出会った当時は驚きよりもこの少女があまりに不憫で、不覚にも涙が出そうだった。

 まぁ、1年も経てばすっかり見慣れた光景だ。
 魚を生で食べる習慣も衝撃的だったが、今ではまったく抵抗がなくなった。
 思い返すとなれぬ食生活、生活習慣に苦労した1年間だった。
 私はこの1年間ここで生き、チャキアと共に暮らしてきた。

 ここへ来た当初。
 チャキアが私のために用意してくれた食材を目にし、私は途方にくれた。
 泥のついた毬のような芋に兎ほどもある蛙、極彩色の珍妙な魚。
 ほかにも理解を絶するモノを次々と、チャキアは嬉しそうに笑いながら私の前に並べた。
 チャキアがそれらを食って生きているのならば、私が口にしても死ぬことはないだろう。

 食わねば、死ぬ。

 私は生きたかった。
 死にたくなかった。
 腹を下す覚悟で、私は食った。
 顔を歪めて無理に食べる私の姿は‘ご馳走‘だとそれらを差し出したチャキアを悲しませ……傷つけたはずだ。

 私は食生活に一刻も早く馴染めるよう努力し、工夫をした。
 見た目に生理的嫌悪を感じる蛙や蛸などは原型をとどめぬよう切り刻んだり、すり潰して団子にしてみた。
 生魚は苦手な私でも食えるように食用油と酢、そして香辛料と香草で一口大に切った魚とあえてみた。 食い慣れると生臭さすら風味の一つとなり、香辛料等で誤魔化さずとも美味いのだと思えるようになった。

 努力のかいがあり、私は半年後には村一番の料理人となっていた。
 この村の味は素朴過ぎたため、彼等からすれば私の味付けはクセになるほど刺激的らしいのだ。
 最近では近隣の村の行事や集会時に、請われて腕を振るっている。
 おかげでここでは異質である銀髪に青い目玉という見目の私に向けられていた警戒心を隠さぬ視線も、今ではだいぶ緩和されてきた。
 
 今の私には王宮にある自室に置いてきた剣よりも、包丁のほうがずっと役に立っている。
 まさに、食い物の力は剣より強しだ。

「話しかけた私も悪いんだが……チャキア」
 
 最近はどの沼で採った蛙か一口でわかる『きき蛙ぶり』に、我ながら拍手喝采したい気分だ。
 ワインの産地を言い当てていた私が、今では蛙の産地を言い当てているのだから。
 
「食いながら喋るなと何度言わせるんだ? それと……こら、見苦しい。膝を立てて飯を食うな」

 チャキアのスカートは筒状にはなっておらず、大判の長方形の布を身体に巻き帯を締めただけだ。
 フリルやリボンなどの装飾が一切無いそれは、チャキアによく似合っていた。
 深みのある緋色はチャキアの肌を白く見せるし、錦糸の刺繍も華美過ぎず上品だ。
 だが、立て膝などすれば合わせ目から足が多少覗くことになる。

「でも、村のみんなだって」
「チャキア」

 食い物もマナーも、国や土地が違えば異なって当然。
 それはもう充分に分かった、身を持って知ったというのに。
 
「私は……私が嫌なんだ」

 占領下の街で場末の娼婦達がそうやって男を誘っていた記憶があるせいか、こればかりはどうも許せない。

 --狭量で、すまない。

 心の中で謝った。
 私はチャキアのように、素直にはなれない。
 
 これは私の我侭だ。
 村の娘達がそうしていようが「そういうものなのだ」で済ませられる。
 だが、チャキアは駄目だ。
 どうにも嫌なのだから、しょうがない。

「うっ……は~い」

 チャキアは細い足をそろえて座りなおし、食事を続けた。
 今度はきちんと全て食べ終わってから私に話しかけてきた。
 チャキアは私と違って素直だ、とても。
 若干鳥頭気味だが、素直だ。

「ねぇ、リューリック」

 私の左袖にチャキアが手を伸ばし、軽く握った。
 この衣類は祭司が用意してくれたものだ。
 ブラウスとジャケットの中間のような長袖詰襟の上衣は、諸事情により肌の露出を最小限にしたい私にとっては最適なデザインだった。
 布地の知識など無い私には素材のことは分からなかったが、見た目以上に着心地が良く涼しかった。

「……なんだ?」

 冬期の外出には必需品だった外套もブーツも、ここでは必要がない。
 手触りが好きで集めていたミンクもセーブルもフォックスも、ここでは単なる敷物扱いになりそうだ。
 今の私には絹のブラウスや高価な毛皮のコートより、祭司の与えてくれたこの衣類のほうが数倍価値がある。

「ご飯食べ終わったらお風呂に行こうよ!」
「風呂?」

 王室専用の工房で作られた皿も、銀のカトラリーも無く。
 粗末な木で作られた床に腰を下ろし。
 装飾の一切ない木製の椀に箸、そして手指を使い食事を摂るなど。

 兄以外に頭を下げる必要のなかった、この私が。
 蛙の肉を食らい。

「お背中、洗ってあげるから。チャキア、頭洗って欲しいの」
「……風呂は陽が沈んでからだ」

 白磁のバスタブではなく。
 野に沸いた湯に入り。
 少女の髪を洗うなど。
 
「ちぇ~っ……」

 私は自分で髪を洗ったことなど無かった。

「チャキアね、リューリックに頭洗ってもらうの、大好き! とっても気持ちいいんだもん」

 洗ってもらっているなどと、全く思わなかった。
 洗わせてやっているのだと思っていた。

「洗ってやる。だが、風呂で私にくっつくなよ? 決まりを守らないなら、もう一緒に入らない」

 チャキア。
 お前より年下でも、実の親によって私の兄のご機嫌取りのために玩具・・として差し出された娘は多い。
 兄と違って、私には少女をどうこうする趣味は無い。
 もちろん稚児趣味もないが……。
 お前はついてるんだぞ?

「ええ~!? 意地悪言わないでよ、リューリック!」
「おい。食いながら喋るなといったばかりだろうがっ」

 そして私の強い理性に感謝しろ。
 私は此処に来てから女に触っていない。
 村の女の誘いにものらなかった。
 自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。

「んぐぐ……はぁ~い。ほら、お口からっぽ! チャキアいい子にして素敵な‘れでぃー‘になるから16になったらお嫁さんにしてね! 約束だよっ!?」
「ああ。16になったらな……チャキア」
「リューリッ……んっ」

 チャキアの口に、『約束』をしてやる。
 蛙を食っていた口に。
 蛙に触れていた唇に。

「……‘約束‘だ」

 キス?
 キスなんかじゃない。

 これは、約束。

 この時。
 私は絶対に目をつぶってはいけない。

「うん!」

 彼女がまだ13才の少女なのだと忘れぬように。
 軽く触れ、すぐに離れる。

 それを数度、繰り返す。

 貪りたくなる衝動を、数で誤魔化す。

「……ガゥ!」

 無意識にチャキアを引き寄せようと動いてしまった私の左手を、鋭い爪を持ち、毛に包まれた大きな手が抑えた。

「あぁ、すまん」

 助かった。
 今、少々まずかったな。
 もっとしっかりしてくれ、私・よ。

「あ! お母さん、お帰りなさい。見回り、お疲れ様~!」

 チャキアの‘お母さん‘は、人間ではない。
 猛獣。
 種類で言うならば虎だ。
 私の国ではその毛皮の美しさゆえに乱獲され、ずいぶんと数が減った動物。

 ここでは神の使いと崇められる聖獣。
 聖獣?
 見た目はただの虎だ。
 大きさも、これならば標準の範囲内だろう。

 私が兄の命で仕留めたあの虎は、これの倍はあった。

 だが、確かにこれは普通の‘虎‘ではない。
 なにより、この個体は知能が高い。
 喋りださないのが不思議なほどに。
 
「お母さん、蛙おいしかったよ! え? キキの実が食べごろだったの!? うん……うん、わかった。明日一緒に採りに行くね」

 チャキアは不思議な娘だ。
 植物や獣と会話し、嵐の襲来を村人に教え。
 失せモノを言い当てることも出来る。
 この島の人間は、そんなチャキアを生き神扱いだ。

 精霊信仰の息づく、この島……<天領ティン>。
 幾つかの島からなるこの国の王都は、都島センという島にあるらしい。
 チャキアの島には三つの集落があるだけで、役所も図書を閲覧できる施設も無い。
 村人も読み書きが出来るものは半分以下。
 情報が得にくいどころか、手に入らない。
 私に言葉と文字を教えた祭司は1ヶ月前に都島センに行くと言って島を出て、もどってこない。
 祭司は言った。
 都島センの何者かが、チャキアをこの島から連れ出そうとしていると。

 チャキアはこの島から出る気など全くない。
 本人がそう言っている。
 
 チャキアに意に反し、無理やり連れ出そうとするならば。

 抗うまでだ。
 全力で。

 この私が。
 全ての力・・・・で。
 
「チャキア、今日は星祭りに行くのだろう? 普段は寝てる時間に起きてなくてはならないのだから、少し寝ておけ」

 今夜は星祭り。
 年に一度、夜空の星へこの島の住民が願いを伝える祭りだ。
 
「え~、眠くないよぉ」
「寝ろ」
「う~っ。お母さん、時間になったら起こしてね」

 横たわった虎を枕にして、チャキアは眼を閉じた。
 私も虎の腹に寄りかかり、しばし休むことにした。

「……あのね、リューリック。去年の星祭りの時、チャキアは北煌星にお願いしたの……お願いはもう叶ったから、お祭りではもうお祈りしないの」

 星への願いは1人1つだけ。
 古くからの決まり事だと、以前祭司が言っていた。 

「チャキアのとこに来てくれて、ありがとうリューリック。……おやすみなさい」

 眼を瞑ったまま、チャキアは言った。

「おやすみ、チャキア」
 
 星祭りか。
 チャキアは星への願いが叶い、私が‘来た‘と思っているようだが……。

 夜空の星に願うなど。
 私の国では絵本の中での出来事だ。

 言い伝えであり、伝説だ。

 伝説、か。
 
 私は伝説など信じなかったが、兄は違った。
 兄は北方にある小さな村で<獣王>と呼ばれている特殊な虎の存在を知り。
 それの心臓を喰らうと<獣王>の力を得られるという、村の言い伝えを信じた。

 馬鹿げていると思った。
 白い虎は確かに希少だが、稀に見世物小屋にだっているというのに。

 生まれつき病弱な性質であった兄は、『獣王の力』という胡散臭い言葉に飛びついた。
 鬼気迫るその眼光に、私は何も言えなくなった。
 私は兄の望みのまま白い虎を討ち取り、その毛皮と心臓を持ち帰り兄に捧げた。

 兄はとても喜んでくれた。
 初めて、私を褒めてくれた。
 
 それから一ヵ月後、私の手足に奇妙な痣が浮かびはじめた。
 皮膚病かと思ったが、違った。

 その痣が肌に浮かんでからは身体能力が異常なまでに向上し、私は戦場で大いに役立った。
 兄に命じられるまま、国のために戦った。

『獣王の力』を得たのは伝説を信じ、生のまま獣の心臓を喰らった兄でなく。
 伝説など全くの迷信だと考えていた私だった。

 戦が終わると。 
 私が‘力‘を横取りしたのだと、兄は私を罵った。

 体中に現れた虎のような模様が、目元にまで及んだその日。

 私は『人』ではなくなった。

 穢らわしいと、実の母にさえ罵られ。
 地下に繋がれた。
 放っておけばいつか死に、朽ちるだろうと。
  
 一思いに剣で殺してくれと頼みたくとも、牙を持つ口から出るのは獣の咆哮。

 兄は言った。
 笑いながら、言った。
 
 ――浅ましく卑しいお前になど、天の門は開かれぬ。地獄に堕ちるのだ。

 私は多くの人間を殺してきた。
 国のために、兄のために。
 そして、自分のために。

 獣になろうがなるまいが。
 天の門は、閉ざされていたのだ。 

 しだいに重くなる目蓋。
 この眼を開けるのが、どうしよもなく怖かった。

 想像すら出来ぬ<地獄>など、この眼で見る勇気が無かった。

 次に眼を開けた時。

 この眼が見たのは、君。


 チャキア。 
 君の、笑顔だった。


 ここは、生まれ育った故郷とは全く違った。
 永久凍土を持つ故郷とは違う、うだるような熱帯雨林気候。

 白銀の大地は、咽ぶような濃い緑と原色に変わり。
 柔らかな陽射しは焼け付くような強いものへと変わった。

 変わらないものもある。
 太陽は一つ。
 月も一つ。
 そして、天を飾り輝く星は無数。

 この島が故郷からどれほど遠く離れた異国の地なのか、想像すら出来ない。
 故郷は懐かしいが、恋しいとは思わない。
 思えない。
 
「……」

 チャキアに気づかれぬよう、片目を少し開けた。
 見えるのは、すっかり見慣れた虎の皮毛と艶やかな濃緑の髪。
 穏やかな寝顔は、毎日見ても飽きることはない。

 チャキア。
 お前を護るためならば。
 人の皮を脱ぎ捨て、喜んで獣と成り果てよう。

 ここが私の生まれた世界の何処かなのか、それとも全く違う世界なのか。
 もう、そんなことはどうでもいいんだ。

 蛙を食おうが。
 葉の浮かぶ濁った湯に入ろうが。

 まあ……昆虫だけは、未だに食えないが。

 ここでの生活も。
 この世界も。

 呪われたこの身を。
 その腕で抱きしめてくれる、君の傍なら。

 
「……悪く、ない」


 この世界には、君がいる。


☆~~~おまけの小話『帰り道』~~~☆


「リューリックは何をお願いしたの?」

 星祭りからの帰り道はチャキアを背負って歩いた。
 途中までは手を繋いで歩くことができた。
 しかし徐々にチャキアは眠気に負け始め、足元がおぼつかなくなった。
 私はチャキアを背負うことにした。
 2時間ほど寝てから星祭りに行ったが、久しぶりに仲の良い村娘達に会ったチャキアはとてもはしゃいでいた。
 疲れで眠くなって当然だ。

「いや。していない」

 星が強く輝く夜は、月明かりは期待できない。
 だが、夜道を照らすガス灯やランタンが無くとも私は夜目がきくので、不便は感じない。

 ここまで視えるとは……変化・・が進行しているな。
 もはや人間とは言い難い。

 私のこの身体は。
 便利なんだか不便なんだか……微妙だな。

「え? どうして?」
「生涯一つしか叶わないんだろう? もっと考えてから、願うことにする」
「ふ~ん……」

 今のところ。
 私は星にすがるほど、願い渇望するものなどない。


「チャキア。……Я люблю тебя」


 全てを元に戻したいという気も無い。

「なあに、それ? おまじない?」
「まじない? ああ……まぁそんなものだ。さぁ、寝る前に風呂に行こう。頭を洗ってやる」

 私は満たされている。
 充分に。

「わぁ~い! リューリック、大好き!」
「風呂での決まりは守るんだぞ?」

 星に願わなくても。

「うん! わかってるよ~、れでぃーはお風呂でお膝にのっちゃだめなんだよね!?」
「おい、それ以外にもあるだろうがっ。まったくお前は……よし、風呂に着くまでに試験をする。12項目全て暗唱出来なかったら1人で入れ」
「えぇ~!?」

 昼も夜も。
 今日も明日も。

 私は君の側にいられるのだから。


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